一般社団法人半導体産業人協会


SSISコミュニティ活動(趣味の会)
関東城廻り『足利氏館跡、鑁阿寺、館林城跡』

SSISコミュニティ活動(趣味の会)の一環として、第1回“関東城廻り『足利氏館跡、鑁阿寺、館林城跡』”を開催した。
“城廻り”が趣味の角井宣治と、野澤滋為、真鍋研司、島 亨が参加した。
前日までの冷たい雨が嘘のように 晴れ上がり、小春日和ののどかな旅でした。

足利氏館・鑁阿寺(ばんなじ)

足利氏館は平安末期、源義国が築き、周囲に堀を巡らせ土塁を築いて邸宅とした。建久7年(1196年)義国の孫にあたる足利義兼が館内に持仏堂を建て大日如来を本尊として祀り、これが鑁阿寺の始まりである。その後、鑁阿寺は足利氏の氏寺として着々と整備され、本堂は義兼の子 義氏によって建立された。

足利氏館跡には足利氏の居館は残されていないが敷地の周囲に堀と土塁がよく残っており、館の当時の形状を伝えている。館跡南側に架かる太鼓橋を渡り仁王門をくぐると正面が鑁阿寺の本堂で、鎌倉時代後期に再建され、経堂とともに内部を拝観することもできる。境内には、一切経堂、多宝塔、鎌倉時代初期の鐘楼など歴史的な建造物とともに、大銀杏が見事に色づいていた。

―鑁阿寺本堂(国宝)―

―足利氏館跡の水堀と土塁(国指定史跡)―

―鑁阿寺の仁王門で―

館跡の周囲は水堀と土塁で囲まれており、四方に門がある。水堀には3尺に近い大きな緋鯉、真鯉がゆ ったりと泳いでおり往時が偲ばれた。 足利氏館跡から足利学校までゆっくりと水掘りを巡って歩いた。

足利学校

―足利学校の入徳門前で―

―足利学校の方丈―

足利学校ではボランティアのガイドさんが説明してくれた。 起源に諸説はあるが日本最古の学校であり、儒教の祖 孔子を祀り、卜学と兵法を中心に3千人とも5千人ともいわれる学徒を有する一大学問所であった。16世紀にはフランシスコ・ザビエルにより広く世界にも知られるようになった。 ご多分に漏れず、足利学校も幾度となく存続の危機に脅かされながら現在に至っている。 入徳門、学校門、杏壇門、孔子廟、南庭園、北庭園、方丈、衆寮と、実質的な祖といえる上杉憲実公碑がある。 方丈で論語を読む体験ができるなど修学旅行生に人気があるそうである。 近世日本の教育遺産群として ・日本最古の学校『足利学校』(栃木県足利市) ・世界最古の庶民のための公立学校『閑谷学校』(岡山県備前市) ・日本最大規模の私塾『咸宜園』(大分県日田市) ・日本最大規模の藩校『弘道館』(茨城県水戸市) が、現代も学問・教育に力を入れ、礼節を重んじる日本人の国民性として受け継がれている。 昨年、日本遺産に認定され、世界遺産認定を目指しているという。

館林城跡(館林市)

足利市駅から電車で移動して館林城跡へ向かう。 館林城は、城沼を自然の要害とした平城で、別名「尾曳城」。沼を城の東側外堀とし、沼に突出する低台地を区切って、城の中心である本丸、二の丸、三の丸、八幡郭、南郭を置き、これを囲むように、稲荷郭、外郭、惣曲輪を構え、さらに西方の台地に城下町を配置し、すべてを土塁や堀で囲んでいた。築城時期や築城者は、赤井照光とするものがあり、狐の尾曳伝説と相まって広く知られている。文明3年(1471年)に上杉軍が赤井文六・文三の居城立林城(館林城)を攻略したと記録にある。その後、越後の上杉氏、甲斐の武田氏、小田原の北条氏による三つ巴の攻防のなかで長尾氏、北条氏などが館林城を支配した。

―大政奉還時の城主秋元氏別邸―

―館林城本丸跡―

豊臣時代の天正18年(1580年)徳川家康の関東入封に伴って、徳川四天王の一人榊原康政が十万石で城主となり、江戸時代には利根川を抑える東北方面への要衝とした。また、5代将軍徳川綱吉からは、将軍を輩出した徳川宗家に関わる重要な地として江戸幕府に位置付けられ、最後の城主秋元氏まで江戸幕府の重鎮を務めた七家の居城として栄えた。

―館林城本丸跡の石垣―

―館林城跡とつつじが岡公園―

館林城は、城沼を自然の要害とした平城というが、とにかく、大きな公園である。沼沢地を公園にしたもので鶴生田川が城沼に流れ込んでいる。 ニューヨークのセントラル・パークに勝るとも劣らない規模で、快晴の土曜日とあって家族連れ、ジョギングをする人、散歩する人、団らんする人、それぞれが楽しんでいた。 広場で『竹とんぼ』で遊んでいる大人たちがいる。明日、13日(日)はここで全国大会があるという。 高度競技、距離競技、滞空競技など種目ごとに競い合う大会でテントの本部まである。北海道、九州など全国から万年少年が集まり競技する。 ボクたちも少年時代の昔を思いつつ長々と彼等と雑談、竹とんぼの作り方から凧揚げの話題へと話は尽きなかった。 とくに、竹とんぼ作りで①軽い、②羽の先を重くする、③中心の芯の出し方、飛ばすときに④手の力をしっかりと羽に伝える、⑤ヘッドアップしない、⑥自分の羽の行方は自分では見ない、他人の目を見て判断する、等々の極意についての話題はボク達 元少年の心を打った話であった。

―全国竹とんぼ大会とリハーサル現場―

つつじが岡公園には、屋上階にプラネタリウムがある『向井千秋記念こども科学館』があり、快晴の今日はどこまで見えるかな! また、田山花袋旧居近くの『田山花袋記念文学館』があり文字通り文武両道の公園である。

―寒桜が咲いていた―

近くに分福茶釜で有名な茂林寺があったが今回は行けなかった。

おわり(文責 島  亨)


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