「終戦70年、知覧を訪ねて」
2015年11月11日更新
2015年4月23日
金原 和夫、神山 治貴、島 亨
戦後70年、太平洋の激戦地パラオを天皇が慰霊訪問されたり、戦艦武蔵の話題が出ている中、我々は終戦の直前まで特攻隊として“隼”で飛び立ちお国に命を捧げていった若い隊員を知るために特攻隊の街・知覧を訪ねた。
この企画を立てた内山雅博さんが体調を崩し参加できなくなったのは残念だった。
―鹿児島市内で―
知覧の富谷旅館で
錦江湾・桜島・西郷洞窟・島津別邸の観光を終えて目抜き通り商店街を散策して山形屋バスセンターから 鹿児島交通で知覧へ向かった。
快晴で美しい錦江湾、桜島を眺めながらバスは急勾配で山へ登ってゆく、飛行場がこんな高地にあるとは。
―富屋食堂のレリーフの前で―
九州の日は長く散歩に事欠かない。夕食はゆっくりにして武家屋敷から亀甲城跡近くの矢びつ橋まで散策する。
参観時間は終えていたので観光客はいない。見通しがよく、よく手入れされた町を見て歩くのは気分がいい。行き交う町民の挨拶も気持ちが美しい。
山にかけての麓川の渓流にはもう鯉のぼりが泳いでいる。道路の側溝は清流で本物のコイが泳いでいる。
ここ南九州市は知覧、頴娃、川辺が合併した町で、ここが町の中心部のようだ。
―武家屋敷・二ツ家―
―武家屋敷の一角で―
―亀甲城跡近く・麓川の鯉のぼり―
富谷旅館の母屋には、どこかの会社が研修をしているようで若者男女の元気な声が聞こえてくる。
我々の夕食は予定通り遅くなったが、別館の部屋へ戻って、神山さんが山下酒屋で買ってきた芋焼酎“さつま一本儀”で2次会と相成った。
たまたま終戦時に少年兵に近い金原さん、小学校低学年のボク、戦後生まれの神山さんと世代を超えて特攻隊を語るにふさわしいこともあって話が弾み、楽しい寛いだ時間を共有できた。
翌朝、富谷旅館を引継いでいる鳥濱トメさんの孫嫁さんから往時の話を聞くとともに、当時は防空壕跡だった本館の池の前の縁側で写真を撮ってもらった。
―富谷旅館とその縁側に坐して―
タクシーでの知覧見物
うとタクシーを予約したのは正解だった。知覧は結構広く高度差もあり、且つ天気がよく暑い中をゆっくり見物が楽しめた。
知覧飛行場は2,000m×1,500mに2本の滑走路があって周囲に兵舎、格納庫、弾薬庫があり、米軍の爆撃が激しくなってきた頃は各種のカモフラージュをしていたそうである。
“隼”特攻隊は開聞岳を目指して滑空、飛行し、次いで沖縄に向け南下していったという。
戦没者を弔う灯篭は、とっくに1.036基を超えて今も増え続けているという。
―平和祈念通の灯篭群―
飛行場正門跡地、弾薬庫、特攻平和観音堂、トメ観音堂、等々も見てまわったが、兵舎跡地はスポーツ・センターへ、飛行場跡地は住宅地、畑地に変わっていて、そのうちに市役所までここへ移すという。唯一当時の場所が分かるのがこの給水塔である。地盤が弱く傾いてきているのでいつまで持つのか。
観光立国を目指す知覧は新しい施設や道路をつくっているので、今回の我々の訪問は、まだ昔を偲ぶことができたという意味でいい機会だった。
―戦闘指揮所跡・映画“ホタル”ロケ地等―
―三角兵舎跡地への旧道と記念碑―
―給水塔、ピサの斜塔のように傾いている―
―鳥濱トメの灯篭―
―飛行機を隠した堰堤壕跡―
―豊姫・玉豊姫伝説の碑―
―開聞岳の遠望―
知覧特攻平和会館
知覧は昭和16年に大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所として開校、昭和17年に飛行場ができて、少年飛行兵、学徒出陣の訓練所から戦況が険悪となって後、特攻基地として沖縄戦へ出陣した。1,036名の戦死者の遺影、手紙や遺書など展示物は涙なしには見ることが出来なかった。
沖縄での戦局が急を告げて、“知覧”のほかに“鹿屋”“大刀洗”“萬世”の九州各地から特攻隊が飛び立っていった。青年たちの尊い命の犠牲を世界の平和に捧げなければならないと感じたのは我々だけではないだろう。
―知覧特攻平和会館(館内写真撮影禁止)―
武家屋敷
日本全国に武家屋敷はたくさんあるが、ここ知覧の武家屋敷は見ごたえがある。道路に沿って両側に並ぶ見事な屋敷群である。知覧が小京都と呼ばれる所以である。
武家屋敷の庭園を鑑賞した。島津藩はどこでもそうであるが、下級武士たちは平時は百姓をして戦時に武器をとって戦うのか。
―武家屋敷A・B―
―武家屋敷C・D―
ホタル館
昔の富屋食堂を資料館として復元したもので、知覧特攻平和会館とは異なり、トメさんと特攻隊員たる若者とのふれあい・対話が語られている。
―ホタル館富屋食堂(資料館)の前で―
おわりに
富屋食堂の筋向いのバス停から鹿児島中央駅行きのバスに乗った。折から学校帰りの高校生で満員であったがボクたちが乗ってくるや彼らはすっと席を立ち我々に譲ってくれた。今でも学校で西郷隆盛の思想を教えているそうだが、鹿児島県人の規律、倫理観は大したものだと実感した次第である。
(文責 島)
6)第11回SSISオープンゴルフ大会報告
2015年4月27日
SSIS 文化活動委員会
九州委員会
SSIS主催の第11回オープンゴルフ大会は「SSIS春季九州工場見学会」に合わせて平成27年4月22日、鹿児島県で2つの顔を持つ人気の名門コース、かごしま空港36カントリークラブ・空港コースにて開催しました。
参加者11名(敬称略)
左から順に
(後列)
吉崎、井上、市山、勝本、園部、松本、(栗原)
(前列)
池野、野澤、石川、山崎
天気に恵まれ、木々が鮮やかな緑色をまとった絶好のコンディションのもと和気あいあい、楽しいゴルフを満喫しました。様々な設計者によって各コースが設計された空港コース、比較的距離が長いタフなコースでした。
霧島連峰を望みながら美味しい空気の元、競技は新ペリア方式で行い、実力を如何無く発揮された池野さんが3連続優勝、ベスグロは初参加の井上さんが獲得されました。
次回は今春、6月1日東京で開催する予定です。多数の皆様のご参加をお待ちしています。
なお、簡単に会計報告を下記します。
収入 55,261円 |
内訳 |
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支出 45,100円 |
内訳 |
次回への繰越金 |